最近はご紹介いただき新規のお客様もご来店くださるので、
自己紹介をさせていただきます。
5章になっていてかなり長くなっていますので、軽く流してみていただけると嬉しいです。
こんな美容師もいるんだな。くらいの気持ちでご覧ください。
柏木悠希(かしわぎ ゆうき)
職業
美容師+福祉美容師+訪問美容師
家族 僕 美容師の妻 10歳の息子 8歳の娘
2022年から妻と二人で美容室を経営しています。
ーーー小学生編ーーー
4歳年上の兄、僕、2歳年下の弟
3人兄弟
兄は賢い
僕は全く勉強できない
弟も賢い
という何とも悲しい評価をされやすい時期でした。
初めは友達と野球をやり始めました。
コーチのとんでもなく早いキャッチボールや頭が大きすぎて入らないヘルメット
打てないボール。
早々に辞めることにしました(笑)
それからまた友達と今度はバスケ体験に行き、ミニバスをやることにしました。
そこからはバスケにハマり、スラムダンクを読み、練習に明け暮れていました。
弱小チームだったので、近くの全国大会に出場している女子チームと練習試合をして
100点以上の大差をつけられて負けたのは今でもよく覚えています。
それでもバスケが好きで毎日練習していました。
その頃はパワハラなんて言葉はなく、負けたら大会が終わるまで
体育館の周りを走り続け、時には丸坊主にすることもありました。
丸坊主にすることが嫌すぎて、近所の床屋さんで
「なるべく長めの坊主にしてください。」
とオーダーしたところ、昭和時代のマッチ棒みたいに頭だけが異様に大きく、
友達から笑われたことを思い出しました(笑)
ーーー中学生編ーーー
中学生になってからもバスケ部に入り、鬼のような練習が始まります。
まず仮入部の僕たちに課せられた内容は
「多すぎるから人数を減らせ。」
今の時代では考えられませんが、当時仮入部は50名くらいいたので、
当然といえば当然だったのかもしれません。
厳しい練習にバタバタと一人また一人と辞めていき、
それでも残った数十名と僕はバスケ部に正式に入部することが出来ました。
毎日地獄のような練習。
外を10km走り、体育館でシャトルラン。
その後通常練習。
軍隊なのかと錯覚するほどでした。
それでも辛い練習に耐えてこられたのは、試合に勝つことの嬉しさ。
キツイ練習の合間に先生がいない時に、
Tシャツのお腹のところにバスケットボールを入れて先生のモノマネをしていたこと(笑)
本当にキツイ練習の中で笑いあえる友達。
今でも定期的に会っている友達がいます。
バスケにハマっていた矢先に思わぬことが。。。
なんかずっと体調が悪い。頭が痛い。風邪のようにだるいのに熱もない。
頭が痛いから冷えピタを貼ってごまかして。
翌日もバスケがあるから頑張る。
そうしていたら。
いよいよ病院へ行きお医者さんから言われたことは、
「明日からすぐに入院してください。」
え?何それ?風邪とかじゃないの?
それも2か月も?正直かなり焦りました。
バスケは?勉強は?どうしよう。。。
訳も分からず入院が始まりました。
ガリガリに痩せていき、カロリー計算を覚えなければいけない。
1日に最低4回は注射を打たなければいけない。
何度やっても慣れずに痛かった。
身体の勉強をしなければいけない。運動とのバランスも考えなければいけない。
そして自暴自棄になりました。
部活には行けないから大好きなバスケ部のレギュラーになれなくなる。
勉強も当然遅れる。
何より一生治らないと言われたことが、当時は受け入れられず
両親にとにかく当たり散らしていました。
僕も親になった今だからこそわかる親心。
「代われるものなら代わってあげたい。」
身の回りのことを何でもやってくれて病院にも毎日来てくれて
心配に決まっていたはず。
そんな両親を深く傷つけてしまいました。
そんな時に父からの手紙が。
厳格な父。
もちろん手紙なんてもらったことはありません。
病院で入院中の夜。恐る恐る手紙を開きました。
「お前は家でお母さんがどれだけ苦しんでいるのか考えたことがあるのか?」
この言葉に衝撃を受けました。
病院ではいつも明るく元気づけていてくれたからです。
その言葉と「お前ならできる!絶対に諦めるな!」
といった内容で夜中の病室で生涯流せる涙は流し切った気がします。
そこから少しずつ気持ちを切り替えて受け入れて前を向き始めます。
そして無事に退院して元気にバスケ部レギュラーとして青春時代を過ごします。
ーーー高校生編ーーー
高校へ進学し、それから段々と美容への関心が出てきます。
校則は決してなかったわけではありませんが、
生徒の8割は何かしらで引っかかっていました。
髪を染めて、ピアスをあけて。それがオシャレだと信じてみんなしていました。
時代もありギャル男とヤンキーと真面目のどれか。
そんな不思議な学校でした。
真面目な人以外はみんな日焼けサロンに週3回。
今更みんな後悔している年代です。
高校から髪の毛がある程度自由と勝手に解釈し始めます。
友達の家に集まると市販の薬剤を買い、知識と経験のない謎のツイストパーマをかけたり、
左右別々のカラーを使ってお互いに染めていました。
それが意外と評判が良かった気がします。
その頃からオシャレをすることや、髪の毛を変化させることが
少しずつ好きになっていきました。
そして自宅近くの美容室に通うようになり、
素敵な年上のイケメン美容師さんに美容師のことを色々聞いていました。
そこでちゃんとしたツイストパーマをかけてもらい、
自分の謎ツイストパーマとの圧倒的な違いに感動しました。
高校まで続けたバスケも金髪だった髪を注意されて
直さなかったら試合には出さないと言われてすぐに退部。
そこから本格的に美容師を目指すことになります。

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